設置場所の検討(候補地)
①南部土地改良記念公園の一角 (清瀧弁財天寄り)周五郎が何回も訪ねている「沖の弁天社」関連
② 清瀧弁財天境内の一角(南部土地改良区記念公園寄り)周五郎が何回も訪ねている「沖の弁天社」関連
清瀧弁財天については、私の思い入れで設置について関係者に打診した。
所有管理する「宝城院」に意向を伝えたところ、弁財天の世話人会にはかって回答する旨」の返事であった」。世話人代表にも直接お話しし、資料を添えてお願いした。数日後、「世話人会議」の結果お断りする旨、宝城院から回答があり、断念した。
清瀧弁財天際の「南部土地改良記念公園」についは、内田市長が「設置するなら旧江戸川沿いの、蒸気河岸の近く、西水門の一画に」ということから、候補地から外した。この時点で、設置場所は「西水門天端」にしぼられ、その実現に向け対応し、内田市長の「県の方とは、私が話す」とのことに期待して、体制づくりなどに取り組んだ。
所有管理する「宝城院」に意向を伝えたところ、弁財天の世話人会にはかって回答する旨」の返事であった」。世話人代表にも直接お話しし、資料を添えてお願いした。数日後、「世話人会議」の結果お断りする旨、宝城院から回答があり、断念した。
清瀧弁財天際の「南部土地改良記念公園」についは、内田市長が「設置するなら旧江戸川沿いの、蒸気河岸の近く、西水門の一画に」ということから、候補地から外した。この時点で、設置場所は「西水門天端」にしぼられ、その実現に向け対応し、内田市長の「県の方とは、私が話す」とのことに期待して、体制づくりなどに取り組んだ。
最終的に設置個所として絞られたのは青べか物語にも多く登場する大川端の「蒸気河岸」の一画にある西水門の猫実側の端の緑地内であった。船宿千本の吉野屋もすぐ近くにある。ここに設置すべく、石の選定、文学碑の形態、碑文、などについて予め検討準備した。