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オーストラリア大陸横断紀行 この旅は、今までにない一ヶ月にわたる日程で、旅行社の企画によるツアーではない個人旅行である。英語力も殆どない64歳の私にはいささか冒険的であるが、オーストラリアが大好きで何回か行っており、特に今回の目玉が、シドニー・パース間、3泊4日の大陸横断鉄道に乗車すること、エアーズロックに会いにいくなど、楽しみいっぱいの旅なので,語学力アップにもつなげたいと挑戦することにした。結果いろいろな事があった。 文字通りの「お爺のOG(オーストラリア)旅行記」を書いてみた。 少し長めだが、失敗談や貴重な体験もあり、何かの参考にしてもらえればと思っている。 (2001年3月15日作成) 2月5日 午後4時頃、ホテルサンルートよりリムジンバスで成田空港へ。チェックイン後空港内で夕食をとる。成田発21.00JAL771便でシドニーへ(幸いにもダブルブッキングでビジネスクラスでのフライト) 2月7日 朝食後、CITIBANKでの預金引出しのため、前日吉野氏に教わった情報をもとにモノレールを利用して、チャイナタウンへ。降車駅はハイマーケット。駅前で中国系の方に「近くにCITYBANKの支店があると聞いて来ましたが、どこにありますか」とたずねたところ、「クローズして、今はない」とのこと、半ばあきらめ、まだ見ていなかった中国庭園を見学。ダーリングハーバーの一部をぬけてシテイセンターへ。そこにあるCITYBANKオーストラリアの本部へ行って、小切手による引き出しを求めたが出来ず、その場でATMカードをつくりようやく引き出しに成功。午後2時近く、遅い昼食をスナックバーでとる。 そのあと一度行ってみたいと思っていた「サウスウエールズ州立美術館」へ。内容は大変充実しており、おおいに堪能した。夕食は、吉野氏の知り合いの店「鱒屋」で日本料理。 おいしかった。 2月8日 早朝5時40分チエックアウト.空港へ。タスマニア・ホバートへ. ホバート空港到着後シャトルバスでミッドシティホテルへ。10時チエックイン。明日からのツアーを申し込むためインフォメーションセンターへ。予約をすませたあと、やや遅めの昼食を、オーストラリア軍艦の停泊している対岸のスナックでとる。ホバート港の埠頭、ドック等を散策。一度ホテルにもどり、夕飯はホテル近くのタイ料理店でとる。その後、夜の港を撮影に。10時頃ホテルへ。タスマニアでのインターネットの接続は、いろいろ挑戦してみたが不調。 夕食は、ハンターデックのシーフードレストラン(波止場の船乗り相手の店という感じ)で、サーモン料理を楽しむ。少し贅沢かな。朝食は持参の物で殆ど済ませているので、 「まあーいいか」。ホテルに戻り入浴後就寝 一度ホテルに帰り、2時間ツアーに参加、11時50分ホテルピックアップ。Mt ウエリントンへ。頂上はすごく寒い。ピックアプが予定より早かったので、急いで飛び出した薄着の自分には堪えたが、眺望の良さにがんばって写真撮影。ツアー後再びfestivalに戻り、ドック際のカフエで遅い昼食(2時30分)、午後4時30分ホテルに戻り、休憩後ホテルで軽い夕食。やや疲れ気味。早く寝る。 2月11日 9時チエックアウト。タクシーでバスターミナルへ.10時30分ロンセストンまでの長距離バス、スタート。運転手のすぐ後ろの席をとり、約2時間30分,距離250kmのドライブを楽しむ。午後1時ロンセストンに到着。タクシーでサンドア・オン・ザパークモーテルへ。女性ドライバーで5ドル10セントのところ6ドル払う。荷物をフロントまで運んでくれた。チエックイン後しばらく休憩、その後インフオメーションセンターめざして歩く。午前中でクローズとの掲示あり、近くのビクトリア博物館・美術館を見学。タスマニアの歴史、動物関係、現代アート、18世紀及び19世紀のオーストラリア絵画等あってなかなかのもの。 約1時間半にわたって観賞後、近くのOLD PORT(かっての港)などを写真撮影してモーテルに戻る。約3時間半のwalkingでいささか足が痛い。フロントの男性に「インフオメーションは午前中でクローズだったよ」と言ったら「だから俺は今行ってもクローズだよと教えたはずだ」言われ、結局聞き取りが出来なかった自分の英会話の未熟さを思い知らされる。午後8時過ぎモーテル内の「MONKYBAR」で遅い夕食をとる。外はまだ明るい。グラスビールとタスマニアンシーフードサラダを頼む。殆ど食べ終わった頃ボーイに追加注文をしようとしたら「食べ物はオーダーストップ」と言う。時間は9時。外はやっと暗くなったばかり。サマータイムとはいえ不思議な気がしてならないがビールをもう一杯もらってフニッシュ。ここでもインターネットの接続は不調。 あきらめて明後日のシドニーに期待する。 モーテル内のMONKY BARは、この公園の一画にある、日本猿を飼育公開しているモンキーガーデンがあることからつけた名前らしいが、夕食をそのモンキーバーでとる。 2月13日 7時起床、朝食前にホテル周辺を散歩。夜、雨が降ったのか路面が濡れている。20分程で戻り、軽い朝食をとる。ゆっくり荷物整理後、10時にチエックアウトし、タクシーで空港に向かう。10時30分空港着、カンタスのカウンターでチエックイン。フライト(11時35分予定)まで時間がある。コーラを飲みながら今朝、入手した住所録でエアーメイルを書く。ポストイン後、ゲートに入り「15分程搭乗が遅れます」とのアナウンスで待機、11時50分フライト。シドニーへ。途中若干揺れたが、ほぼ予定時間通り、シドニー空港に到着。リムジンでホテルへ。ホテルで荷物整理の途中、荷物台車(トロリー)が邪魔になったので、表に出そうとしてうっかり廊下に出て、キーを部屋に置いたままのロックアウト状態となり、下着姿であったため下(フロント)に降りていくわけにもいかず、非常用電話で対応。若干時間がかかったが、スペアキー(カード)を持ってきてもらい何とか解決。気を付けなければと反省。落ち着いてから吉野氏に電話、明日のゴルフについて打ち合わせ。その後夕飯をとるため外出。オペラハウスに向かい、最終のシドニー滞在の時、コンサートを観賞するつもりでチケットを事前購入。シドニーへきたときには、必ず一度は立ち寄るレストラン「ウオーターフロント」でイタリアンシーフードを楽しみ、ホテルに戻る。 2月14日 8時ホテルを出て、吉野氏の待つキララ駅へ向かう。駅前で待っていてくれた吉野氏の車で郊外のゴルフ場へ。素晴らしいコースで、平日ということもあってプレイヤーも少なく快適だったが、後半のホールは結構難しくスコアの方は最低。 しかし吉野氏お手製の弁当を木陰で食べたり、カートの運転を楽しんだりして有意義な一日を過ごすことが出来た。帰国前にレンタカー運転に初めて挑戦することを意識してスタンドでの注油(セルフ)を経験する。 キララ近くの駅前で「韓国料理」(焼肉・焼き鳥)を食べ、吉野氏と別れホテルへ。 マリンプレスの中心(一番賑わっているところ)で昼食をとる。(サーモンとパンのチーズ仕立てと紅茶)時間が来たので、急いでホテルに戻りタクシーで駅へ。ドライバーに「インデアンパシフイックに乗ったことがあるか。」と聞いたら「エクゼクチーブで乗ったことがない」とのこと、そうかも知れないと迂闊な質問に反省。中央駅でのチエックインも比較的スムーズに済み、スーツケースを預け、すでにインデアンパシフイック号が待機している一番線ホームへ。 6時アナウンスがあって夕食。同席はアメリカ人のカップルと、後から偶然にも柏在住の青年(古内氏)が来た。ニューヨークのカップルは、エベレット、ジョニーエルテイング夫妻。(デイナー後名刺を交換)ワインを注文、4人で乾杯、楽しいデイナーであった。 古内氏は2週間の日程で、パシフイック号(3泊4日)パース2泊、ダーウイン1週間の旅をするという。エルテイング夫妻は明朝アデレード停車の際、列車を降りるという。浅草で買ってきた小品をプレゼント、大変喜んでいた。 ニューヨークのカーネギホールでカラオケのリサイタルをやりたいと思っているというジョークに、「そのときは必ず行く」と笑って言った。自分のバースに戻ると、すでにベットメークがされていた。「今日は早く寝よう」。明日の天候回復を祈りつつ。 2月16日 5時起床(起床といえるかどうか、ベットの状況は悪くはないが、揺れと時々の停発車で殆ど寝ていないのではと思う)、6時朝食のコールがあって食堂車へ。ニュージーランド在住のカップルと古内氏が同席。日の出のこと、カンガールのことなどを話題に懇談しながらの楽しい朝食をとる。カップルのうち、ご主人は日本へ何回も来たことがあるとのこと、片言ながら日本語をよく話す。幕張メッセにも行ったことがあるそうで、京葉線の話も出た。古内氏から名刺をもらう。NECエンジニアリング我孫子支社の主任とのこと。 コンピューター特にビジネス情報関係が担当とか、好青年である。朝食後は自分のブースに戻り、ラウンジ車の売店で買ったインデアンパシフイック号の絵はがきに、元後援会会長の田中氏はじめ関係者・友人宛の便りを書く。昼食後は4時のアドレード着までの間、持参したDVD「真珠湾攻撃」をみる。アドレード着。約2時間の停車。オプションの一時間バスツアーに参加。数年前に滞在した時の記憶がよみがえるショートツアーだった。 2月17日 列車の旅も3日目を迎える。5時過ぎには起床して、洗面等身支度を整える。6時過ぎ頃、日の出の光景を撮るべくサロン等に出向くが、限られた窓からのスペース、日の出の位置が列車右後部方向で良いショットがなかなかなく そのうえ雲があって思うような写真は撮れなっかたが、朝焼けの光景は素晴らしい。 7時朝食、古内氏と私との席には、マウイさんという1929年生まれというから72才の女性。オーストラリア人で、シドニーとメルボルンの中間に位置するウオーターフロントの街に住むという。息子さんが一人、娘さんが2人という子沢山。孫は14人いるという。娘さんの一人が東京にいるとのことだが、ご本人は日本にはまだ行ったことがないとのことで「日本へ行くにはお金が沢山かかりすぎる」と言い切る。息子さんについても非常にほめ、「ゴルフが大変上手で、最近は孫息子もみんなにうまいといわれていると自慢気。持参の日本からの土産(小品)をプレゼントしたら、大変喜んでいた。朝食後車窓からの景色を眺める。このあたりの光景は、一面の大平原で、木も殆どない。 見渡す限り赤灼けした土とわずかばかりの草の群、そういった風景がこれから約7時間あまり続くという。
午後からようやく音が出たパソコンでのCDでクラシック音楽を楽しんだ。 景色は相変わらず何もない大平原(ナラボウ平原)、それも、直線距離96kmおよそ東京青森の間何もないところを一直線に走っている。オーストラリアがいかに広大であるかという一つの表れである。感動的ではあるが、景色そのものは単調(動物も鳥以外何もみあたらない)アナウンスがあり、いつもより少し早いホリデイデナーで5時30分食堂車へ。メルボルンからのカップルとまた同席し、懇談しながら列車での最後の夕食を楽しむ。 カルグーリ駅につく頃、またまた時差調整があり9時から7時30分に戻す。 カルグーリ駅に着くと10時まで列車内はクローズとのこと、古内氏と市内に散策に出る。途中公衆電話で自宅に`近況`を聞く。ワイルドウエスターンというアメリカ西部調のバーに入りビールを一杯ずつ飲む。9時頃駅に戻ったが列車10時過ぎまで開けてくれないとのこと。ホームで待つ。ワーキングホリデーでオーストラリアを一年かけて回っているという君津在住の青年に会う。古内氏と、いろいろ話を聞く。若さをうらやましく感じた。11時近く列車の発車とともに就寝。 2月18日 5時40分起床。せまいベット脇の空間で荷支度を始める。まもなくパース。3泊4日の鉄道の旅も終わりに近い。7時コールがあって朝食。メルボルンのカップルと「良い旅を」「あなたがたも」とあいさつを交わし別れる。9時30分着とのこと。それまでゆったりとした気分で、インデアンパシフイック号からの車窓からの眺めを楽しむことにする。 久方ぶりにカンガルーを見る。まだ子どもか、小高い丘の坂道をひょこひょこという感じで上がっていった。午前9時40分、予定より10分遅れて終着駅に着く。 約15分程待って、預けたスーツケースを受け取り、土岐大介君(君津の青年)と古内氏と一緒にパース駅に向かう。インデアンパシフイック号はあまりに長大過ぎてパース駅に入りきらず、三つ手前のパースイースト駅に止まったからだ。荷物が重い。特に背負ったリュックの重さが、肩に背中にどっとのしっかてくる。これも経験と、電車の乗り換えを含み、シテイセンターまで付き合うことにした。やっとのことで中心モールにたどり着いて一休み。 パースのホテルの所在地を確かめるためもあって、コカコーラを買い三人で飲む。 「タクシーを使うまでもない。直ぐ近くだ。10分も歩けば・・・」と方向等を含め、スタンドバーの店員が言うので、それではと二人と別れ歩き出したのだが、なんと荷物の重さと扱い難さに、えらく苦労してしまった。20分ほどかかってやっとホテル(シティウォーターズロッジ)にたどり着いた。チエックインをする。grund bace(1階)の23号室、中はなかなかのものだ。炊事が一切出来るようになっている。ベットもお風呂も申し分ない。 惜しむらくはインターネットの接続が出来ない。枕元のジャック(電話差込)がはずれるようになっていたので、そこに接続してみたがだめ。フロントに聞いてみたら「うちではインターネットは接続出来ない。シェラトンホテルなら出来るが」と言うような感じの応えが返ってきた。それではインターネットをやるなら、シェラトンに泊まれと言っているように聞こえるが、こちらの聞き間違えか、私のしがみかもしれない。ともかくあきらめて、写真撮影、吉野氏への電話、冷蔵庫に入れておくものの買い物などを目的に、市内を散策する。 数年前に訪れたときのことを、それぞれの所で思い出す。帰り際モーテル近くのガソリンスタンド併設のマートで買い物をする。食パン、コッペパン、ジュース類、寿司弁当、マカロニ風肉焼きそば等々。寿司はご飯がぼろぼろで食べられたものではない。肉焼きそば風のものは、電子レンジで温め持参した焼き海苔を混ぜて、なんとか食べた。今晩は一切アルコールなし。たまには断酒も身体のためだと言い聞かせながら10時頃就寝。 モーテルのフロントで予約した明日のウェーブロック1日ツアーに期待して・・・・。 2月19日 6時起床。朝食はパン、みそ汁、梅干し等で済ませ、前日予約したウェーブロック1日ツアーに参加する準備をする。7時30分、4WDの車が迎えに来てくれた。 一行6人(ドライバーのショーンを除く)ですべて日本人。ツアーを進める間に、奈良在住の中年のカップルが、ワーキングホリデイでパース近郊にいる娘の様子を見に来たとのこと。この3人がフアミリイ。他に恋人風の大学生のカップル。(男性は松戸市の青年で神奈川大学理学部に在学中、バイオテクノロジーの専攻、神奈川に下宿中、女性は千葉県とアドレスに書いたところをみると松戸市周辺在住か)。同行者は、それに私である。 ショーンはオージー独特の陽気な好青年で、自分の名前を紹介するとき「ショーンコネリー、007だ」と言って笑わせた。 お手洗い休憩を兼ねて往路にも立ち寄ったスタンド兼マートで、ライトバンを洗車していた日本の青年に話しかけた。「レンタカーですか」と聞くと、「自分の車です」と言う。「こちらに住んでいるの」と聞くと、「ワーキングホリデーで1年間こちらにいるので、出物の中古車が150ドルだというから買った。」と言う. 150ドルといえば日本円に換算して1万円そこそこ、びっくりしたが、マニュアル車だとのことだが、そこそこ の車である。これなら確かにレンタルよりずうと安いと思った。モーテルに戻ってシャワーのあと、リバーサイドの中国風シーフードレストラン「好順」へ行き、久方ぶりのデイナーを楽しむ。この店には数年前に来た時にも一人で食事した思い出のある店だ。たっぷりシーフード料理を楽しみ、帰り際にワイン(今日のおすすめ品)を1本テイクアウトしてモーテルに戻る。10時就寝。 2月20日 今朝は特に予定がないが、5時半の5ch日本語放送(前日のNHKニュースセブン)を見るため、早起きした。エアーズロック、ケアンズと旅行する約1週間の日程をスーツケースを持って、その都度移動するのは大変ではという吉野氏のアドバイスを受け、アコモネットの大友さんを通じて、パースの運送会社を紹介してもらい、別便で送ることにした。 この手続き等で約1時間程かかり、インターネット(特にメール関係)を何とかしたいと思い、昨日見つけておいた「コンピューターパラダイス」を訪れたが、terephon serviceはしていないとのこと。セントラル駅近くの「インターネット カフエ」を紹介してくれた。ここでも電話接続は出来ず、備え付けのパソコンから「新都市グリーン開発」のホームページを開き、掲示板を通じてローマ字で、最低限の」連絡を試みた。なんとも思うようにはいかないものだと痛感する。電話でその旨連絡し、メールをくれた方たちに必要が あれば電話なりしたいので、FAXで連絡してくれるよう頼む。 その後一度モーテルに戻り、美術館、博物館を急ぎ足で見てまわり、運送会社の中田さんとの約束時間(ゴールドコーストのホテルに直接送るスーツケースの引き渡し)に間に合うようモーテルに帰る。5時10分 中田さんが来て計量等を行い手続きをとる。 270ドル(1万5千円)とちょっと高額だが、二度も空港等で重くて大きなスーツケースを扱うことを考えてお願いすることにした。博物館の帰り道に、近くのマートで買ってきた材料等を調理し、昨晩テークアウトしたワインで、ささやかな夕食をとる。 昼のうちに頼んでおいた明日の「ロットネス島クルーズツアー」の準備をして就寝。 2月22日 5時30分起床。冷蔵庫に残っている食材を活用して、パース最後の朝食をとり、ゆっくりと荷物整理。8時30分チエックアウト、タクシーで空港へ。エアーズロックに向けてフライト。エアーズロック空港近くで地上に飛び出た雄大なエアーズロックを眼下に見る。空港に着くと灼熱という言葉がぴったりの暑さ40度近いとのこと。 リゾートバス(free)でアウトロックパイオニアホテルへ。予想以上のホテル(部屋も)で一安心。一段落したところでツアーの申し込みにフロント前のツアーデスクへ。サンセットツアーを、この日早速行うことにする。それもキャメルライドツアー(ラクダに乗ってサンセットを見る)ということになり、いささか冒険かなと思いながら、出迎えのマイクロバスに乗り出発地点に行く。
ラクダに乗って楽だなんて古い洒落だが、それが実際は決してそうではない。ビデオ撮影をしながら、落ちないように、ラクダのupdownにあわせるなど、これがなかなか大変で、降りた時にはいささか腰、内股が痛かった。 軽いドリンク付きミールサービスがあって、それぞれのホテルに戻る。 明日はサンライズ・登山ツアーを申し込んであるので、朝が早い。ホテル内のレストランでバイキングスタイルの夕食をとり、4時30分のwake upコールを頼み、10時前には就寝した。 2月23日 4時wake upコールの前に目覚める。出発まで約1時間ゆっくり身支度をする。 5時10分ツアー開始、日本語ガイド付きのツアーで、つむぎさんという若い女性がツアーガイドである。National Perk への入園料として16ドル払う。 まだ暗い道をエアーズロックに向かってバスは走る。6時25分の日の出までには時間が」ある。sunrise view eria にバスが着くとtea/coffeのサービスがあった。それぞれ折り畳みのイスが渡され任意の場所で日の出を待つ。 ガイドから厳しい注意事項があった。「最高45度の勾配をもつ急傾斜、風が結構強いこと、今までに35人の死亡者が出ていること。昨日のツアーで、一人救急車のお世話になった人があったので、くれぐれも無理しないように」とアナウンスする。 65才になろうとする自分には、無視できないアドバイスだが、ともかく挑戦することにする。登山が始まると直ぐに40度近い急斜面を登ることになる。風もだんだんと強まり、帽子とサングラスをしまう。途中で休憩を兼ねて写真撮影をするが、急勾配の岩肌にはりつくような姿勢で、なんとも危なっかしい限り。鎖場には入り、ますます勾配と風が強まりすでに途中で下山するものもいる。出来れば登頂したいものと息を荒くしながらしばらく頑張る。鎖場が終わったあたりで、残念ながら下山することにする。やってやれないことはなかったと思うが、年齢等を考え慎重を期した。 下山後、さらに写真撮影を楽しみ、集合時間の9時15分となり、山麓めぐりのツアーが始まった。アボリジニの洞穴跡などを見たあと、バスでエアーズロックを一周して帰路についた。10時40分ホテル着、朝が早かったのでしばらく仮眠して、正午過ぎリゾートバスでショッピングセンターへ。マーケットでビーチサンダル、バナナを買う。 昼食はセンター内のカフエで、朝食を食べてないので、遅いブランチというところ。 2時30分頃ホテルに戻る。4時頃、ホテル内の公衆電話から事務所と神谷に電話する。 孫の将人君が風邪をこじらせたとのことで、心配なので電話したところ「一時は入院ということも考えたが、今は大分良くなったので大丈夫」とのこと、良かったと思う。 ともかく暑い。5時を過ぎてもきびしい夏の日がギラギラ輝いているという感じ。 プールに入って久方ぶりに泳ぐ。今回の旅行では初めてである。夕食はバーベキュー料理と思ったが、ステーキメニューで、自分で焼くということにいささか抵抗を感じ、前夜と同じレストランでセルフサービス(バイキング)の料理を楽しんだ。 明日はゆっくりのチエックアウトだが、朝が早かったので9時過ぎには就寝。 2月24日 7時wake upコール。今日はケアンズへの移動日である。フライトは2時25分と比較的ゆっくりなので、12時までのチエックアウト延長を希望したが、10時までだと言う。8時30分朝食をとる。バイキングスタイルでおいしく食べた。ゆっくりと荷物をまとめ、10時チエックアウト。リゾートバスでの空港への送りはホテル発1時05分発とのこと、3時間近くあるので荷物を預け、リゾートを約15分で一周するバスに乗ってビジターセンターへ。スピニフエックスロッジ(ホテル)の一画にあり、このホテルのアパートメントの主要通路を抜けていくと、途中エミューライド(パーク)があってインフォメーションとショッピングセンターとにつながっている。公衆電話が沢山あり便利、日本へ2本の電話を入れる。そのあと来た道を戻り、ビジネスセンターを見学。 リゾート地区での観光案内、暑さ、直射日光等への注意事項などの展示、動植物の状況、自然保護、アボリジニの生活と歴史など、それほど広くないところに内容のある展示がされている。フリーバスでホテルに戻る。預けた荷物のうちリュックにコンピュターが入っているので、空港行きのバスに積み込む前にピックアップしておく必要があると考えたのと、軽い昼食を宿泊したホテル内でとり、ゆっくりとバスを待つのが賢明と考えたからだ。 何事も余裕をもって行動して行く方がbetterである。予定どおりバスが来た。バスを待っている間、ロンドンから来たというカップルと話し合った。 ホリデイでダウインからエアーズロック、ケアンズ、シドニーと回って行く旅のようだ。「日本へ来たことがありますか」との問いに「香港までは行ったが、日本へは行ったことがない」とのこと。人の良さそうなカップルで空港まで一緒だった。 空港についてチエックインのあとゆっくりとボーヂングを待っていたらアクシデントがあった。一端搭乗を開始したが直ぐに「都合により搭乗を延期、フライトは遅れる」とのこと。約2時間近く待たされ、ボーデイングが始まったのは現地時間の午後4時、離陸は4時10分(定刻は2時20分)だった。現地時間8時10分到着、エアーズロックとの時差は1時間半これで時差的にはシドニーと同じ。パース・ケアンズ間の時差は3時間、ちょうどアメリカ大陸の西海岸と東海岸の時差と一緒。その中間点がエアーズロック。文字通りオーストラリア大陸の真ん中(へそ)である。それにしても大きな出臍だ。この出臍の3分の2の所まで登ったので、足(腿)が痛くて階段の上り下りがきつくてたまらない。はた目には、ハンデキャッパーと思われているかも知れない。頂上まで行かなくて良かった。もし行っていたら多分歩くことも出来ず、日程に支障をきたしているに違いないと思った。リムジンバスに乗る。7ドルを払い、自分で荷物を積む。 お客は少なく、私以外に3人計4人だった。今日の宿泊場所イン・ケアンズに着くと、リセプションの若い女性が待っているように私を迎えてくれた。飛行機の遅れで大分遅くなったことをわびながらチエックインを済ませた。ともかく腿が痛い。お風呂で揉んで、薬を塗り、やや空腹気味だが早寝することにする。手元の時計は11時近くを指していた。 2月25日 目覚ましを6時にかけていたがその前に起床した。まだ腿が痛いので風呂に入って揉んでみた。昨日よりは大分良くなったが、まだ立ち上がったり座るときなど痛い。この分では今日も無理は出来ないと思った。とりあえず昨晩頼んでおいた朝食をとりにいくことにする。手元の時計は8時をまわっている。下に降りてみたが受付には誰もいない。 7時30分からいるということだったので、⑨をかけてリセプションを呼び出した。 「まだリセプションは開いていない。もう5、6分待ってくれ」という返事。このとき 私は自分の時計が間違った時間を指しているのではないかと、気が付いた。 そういえば、昨晩寝る前に枕元の時計が9時30分になっているのを、わざわざ10時30分に直したことを思い合わせ、ケアンズは夏時間を採用していないので、緯度は同じでもシドニーと1時間の差があるのだとわかり、実際はまだ7時半前なのに1時間早く自分が行動していることに納得した。早とちりであったのだ。7時35分過ぎ、ホテルの管理人らしき男性が降りてきたので、「昨晩、今朝の朝食券をもらってあるが、レストランがクローズのようだが」と言うと、彼は「この先のところで食べられる。角の所だから直ぐわかる」と言う。ホテルの建物からは離れているので不審に思っていると、ちょうどその店の主人がホテルの前の歩道にいて、「俺と一緒に来てくれ、そして5分程待ってくれればすぐ朝食をつくる」と言う。ともかく付いていき、歩道に並べられた、丸テーブルの前のイスに腰を掛けて、オーダーする。「今日は雨模様ですね。」と言うと、「昨日は台風だった。今日は良くなると思うよ」と応えてきた。その時、昨日のフライトの遅れの原因が、この地域の台風通過を待っていたからではと思いついた。「あの時はどうせ、日本の飛行機と違ってフライトが予定より遅れるのは日常茶飯事、出るときになればでるさ」と思い、遅れの原因についてあまり気にせず、また聞こうともしなかったのだが。時差調整といえフライトの遅れといえ、私も全くいい加減なものだ。おじいにしてOGというところか。 そんなことを考えていたら、朝食はすぐに出来た。 。べーコン、サニーサイド、トーストが一つの皿に盛り込まれ、フレッシュジュースもおいしかった。私の食事中に隣のお店も、高校生位の若い娘が一生懸命テーブルや椅子を表に出して開店の準備をしている。なにしろこの辺のお店で私が今日一番のお客だから。(ホテルから出した朝食券で、この近くのお店どこででも食べられるシステムになっているらしい) ツアーの申し込みをする。午後からのハーフデイツアー(クルーズ)と明朝出発の2時間ツアーに参加することにした。腿の痛みを早くとるのに、水泳が良いのではと思いプールに入る。水は少し冷たかった。気温がそう高くないせいだろう。台風の雨のあと、少し涼しくなったせいか、エアーズロックが特別暑かったこともあって、ケアンズは過ごしやすい。泳ぐというより水中を歩くこと30分。どうもすぐには回復しそうもない。タイミングをみて、早めにピア(クルーズの発着場所)に向かう。日曜日、ピアのモールの中は子ども向けの催し等もあって賑やかだった。 そのあと1時間あまりのフリータイムがあり、島内のカフエ(屋外)で遅い昼食をとる。ダイサギが飛んできて 食べ物をねらっている。監視員が来て追い払う。(食べ物を上げないでください)と各テーブルに注意事項が掲げられている。5時10分ピア着。乗船前に頼んでおいた現像焼き付けフイルム(写真)を受け取り、インターネットアクセスの店に立ち寄る。 日本語バージョンが使えるとのこと。新都市グリーン開発のホームページを開き、掲示板を利用してとりあえず、メールのアクセスが出来なかったお詫びと今後の予定について書き込む。久しぶりで日本語によるアクセスが出来て何かほっとする。 2月26日 5時30分からの日本語放送(NHK)を見るために早起きした。 汚職事件、森政権についてのニュースなどで、当面それほど大きな事件や災害がなくて良かった。 朝食は昨晩の残りのチキンステイックと残っていたピザを温め、持参のインスタント味噌汁などで済ませた。テレビを観ながら荷造りをゆっくりと行い、10時にチエックアウト。1時間程時間があるので荷物をキープしてもらい、ケアンズ美術館(アートギャラリー)を訪れた。これといって著名な画家の絵が展示されているわけではないが、 特別展として「Mental」をテーマにした新鋭画家たちの作品と、世界中旅をしスケッチしているアンネとロン・エドワード夫妻の絵があって結構楽しめた。ホテルに戻り、タクシーを呼んでもらい空港へ。カンタス航空のカウンターでチエックインを済ませ、搭乗開始時間を聞いたら、12時40分とのこと、1時間半近くあるので、空港内のレストランで早目の昼食をとる。定刻どおりの離陸、ブリスベンまでは約2時間のフライトである。 殆ど揺れを感じないスムーズな飛行で午後3時ブリスベン空港着。リムジンの乗り場を 聞いたら、たまたまその男性がタクシードライバーで「ゴールドコースト行きのバスは5時までない。普通は150ドル貰うんだが、80ドルでいいからタクシーに乗らないか」と言われた。長距離は普通帰りの運賃も貰うからだと言う。バスの出る時間を含め確かめるすべもなく、本当かどうかわからないが、この際信用するしかない。タクシー乗車中、ブリスベン空港からゴールドコーストの中心地区までどのくらいの距離があるか聞いてみる80kmから90km位あるという。事実ハイウエイ(MD)を飛ばして約1時間程度かかった。成田・浦安間より少し遠いのかという感じ。仮に80kmとして、1ドル1kmという計算になり決して高くはないと自分で納得する。パラダイスアイランドリゾートホテルに着いてアコモネトの大友さん スターツの荒木さんに電話する。明日午後、アコモネットを訪問、レンタカーを借りて ヘレンスベールの家に行ってみることなど打ち合わせた。 夕食はホテル内でエビちり料理などを楽しむ。まだ足(腿)が本調子ではない。早めに寝る。 2月27日 NHKのニュースを観るため今朝も5時に起きる。昨晩フロントが教えてくれた「部屋の電話のソケットでインターネット接続が出来る」とのことに、朝食前に早速挑戦、アクセス(受信)に成功した。とりあえずアコモネットの大友さん、自宅等に返信メールを送る孫達のデジタル写真入りのメールが、ちょうど前夜送られていたのを見ることが出来うれしかった。ホテル内のレストランで、バイキングスタイルの朝食をとり、午後からの予定にあわせて買い物、APSフイルムのエックスプレスプリントのためパラダイスセンターへ行く。コンビニで食パン、中国製即席そば、玉子パック、バター、ミネラルウオーター等を買い込む。午後荒木支社長、担当の飯塚さんという女性がホテルの部屋を訪れた。荒木支社長がどうしてもはずせない用件が出来、ヘレンスベールの現場へは担当の飯塚さんが同行、レンタカーの借り入れ、アコモネット訪問等もお世話してくれることになった。
オフイスのあるビルの駐車場への車庫入れにもやや緊張した。どうやらうまくいって、メールや電話ではすでに知己の中だが、直接会うのは初めて。名刺交換後懇談した。 その後、歩いてすぐのスターツゴールドコースト支社を訪問支社長等と懇談、飯塚さんの案内で近くのツーリスト会社に行き、明後日以降のツアーについてのパンフ等をもらった。飯塚さんがレンタカーの中に忘れ物をしたとのこと、一緒にアコモネットの地下駐車場に行き車をピックアップして、スターツ経由ホテルに戻り、地下駐車場に車をおき、部屋に戻った。何かほっとした気持ちになる。そのあと、ほとんど回復したものの足(腿)の全快のためホテル内のプールでひと泳ぎして、頼んでおいた写真の受け取りもあって、外出した。写真を受け取ったあと、パラダイスセンター内のjapanease restorant「さのや」で夕食をとる。久しぶりの日本食、琴の音のBGMが流れ、スタッフも日本人と落ち着ける店、内装も悪くない。日本酒を頼み、本場の味わいの料理とともに十分楽しむことができた。ホテルに戻り、入浴後メール送信、10時30分就寝。 それから、車で飛ばすこと約40分近く、フインガルと言う所か眺望の良い、サーフインに最適な波の押し寄せる素敵なビーチで一休み、写真撮影や写生等を楽しむ。30分程度あたりの景色、特に海の青さ、澄んだ空の色、開放的な雰囲気を楽しむ人達を眺め、時を過ごす。2時頃、帰り道初めてのこと、途中道を間違える可能性大、もう少し居たい気持ちを残しながら帰途につく。 ハイウエイ(パシフイック道路)に出てしばらく走ったが、どうも様子が変。シドニー方向(逆方向)に大分来てしまっているのに気づく。車だまりに入り地図を見て確認、Uターンして反対方向のハイウェイにのる。そのまま順調に行くかと思えたが、途中主線が大きく左カーブする中、右気味の直線方向の道へ入ってしまったのでUターン。ハイウェイに入るときに右と左を間違え、ここでも逆方向空港近くまで戻ってしまっていた。パブリック駐車場に車を止めた。ついでに、のどの渇きもあり遅い昼食(ベーコンチーズトーストスプライト)ををとることにする。お店の女主人に、サフアーズパラダイス方向を念のため確認して、再スター。標識に注意しながらも安全運転で午後3時40分ホテルの駐車場に車庫入れ。これで一安心、疲れを感じる。5時30分に飯塚さんが来てレンタカーの返却を手伝ったくれるということで、我慢していたビール(小缶)を飲む。 時間になったので、ロビーに出て飯塚さんを待ったが、なかなか見えないので電話する。 飯塚さんは「4時に部屋に電話したが出なっかた。延長料金をとらないことで交渉してあるので明朝返してくれれば良い」と言う。「明朝は朝6時20分ピックアップで、夜10時過ぎまでかかる1日ツアーを申し込んである旨話す。結果車を地下駐車場からホテルの外のビジター用駐車場に出しておき、鍵をフロントに預けておいてくれれば、明日の午前中に飯塚さんが返しておいてくれるということになった。注油もお願いし料金は立て替えてくれると、何から何までお世話かける事にした。車出しを済ませ、明朝の早出のツアーを考え、そのままホテルのレストランで夕食をとる。体力的にはそんなにハードではなかった筈だが、車の運転で緊張の連続だったせいか、気疲れがしたのだろう。早く寝る。 3月1日 5時のモーニングコールでツアーの準備、お手製の朝食をとる。(パン・残り物のポテトチップス、中国風あげもの・目玉焼・味噌汁) 6時20分、ピックアップで、ホテル前よりフレザー島 1日ツアーのバスに乗る。途中アクシデント(バスのタイヤがパンク)しばらく待たされた。手配されたブリスベン行きの観光バス便乗。そのバスでブリスベンのバスターミナルまで行き、そこでバウチャーからチケットに交換するためのチエックインを行い、ブリスベン発のツアーバスに便乗し、途中でタイヤ交換した当初のバスが待っていて乗り換え、これでやっと本格的にツアーが始まった(この間ロスタイムが1時間位あったのではないか)フエリーでフレザー島にわたるレインボービーチまで、約2時間あまりの長距離ドライブ。お昼時になり急ぎ足のランチをとる。ランチメニューは4種類でそれぞれ4.4ドル。私はローストツダイ(今日のロースト料理)を頼み、別なカウンターでフォーエックスビール(2.30ドル)グラス1杯をゲット。昼食後フレザー島専用観光中型バス(4WDタイプ)に乗り換え、ビーチへ行き、フエリーでフレザー島へ渡る。 砂地の車道を揺られながらしばらく走り海岸線に出る。延々と続くビーチを、波が寄せては返す波打ち際すれすれに突進する。素晴らしい光景だ。海岸線を走ること約30分位。バスは途中お手洗い休憩後、レインフオーレストの中の砂地の道を延々と縫うように走る。 すごい凸凹道で「只今マサージ中です」とドライバーがjokeを言う。確かに先ほど食べたLUNCHはmiksingされ、心もち空腹さえ感じる。 島全体で舗装道路はほとんど無く、いわゆるエコーアイランドとして保護されている。 エコーツアーのポイント、マッケンジー湖に着く。ここでは多くの人達が水泳を楽しんでいた。水着は持参していたが、時間的にも余裕がなくもっぱら写真撮影。(ここでの時間は約50分)またしばらく走り、セントラルステーションというスポットで下車。 フエリーで水平線に沈む太陽(sunset)をカメラに納める。夕闇深まる帰路をバスは急ぐ。途中リゾート風レストランで停車、 バイキングスタイルの夕食をとる。(骨付きチキン、ポテト、サラダ菜、マカロ二など)スイスから来たという青年に同席を求められる。赤ワインを飲んでいるので、遅まきながら自分もワインを買い求め、乾杯。食事をしながらJOKEを交えて話がはずむ。私が彼に 「スイスにはまだ行ったことが無い。是非行きたいと思っている。64歳だからここ数年のうちに行かないと行けなくなる。」と言ったら「64歳とはとても思えない。アルプスもレマン湖も素晴らしい。是非来てください。」と言ってくれた。「東京(日本)へは行ったことがない」と言うので「今度は東京で会いましょう」と笑いながら言って、それぞれバスに乗った。バスは、再び夜道をスピードを上げ帰路に着く。星がきれいだ。 多分さそり座だと思うが、素人の私でもはっきりとわかるような明るさで輝いている。 途中ブリスベンのバスターミナルで半分以上の人が降り、一休止後ゴールドコーストへ。 私がホテルに送られた時は、すでに11時を回っていた。長い1日ツアーであった。 入浴後就寝。フレザー島ツアーで中央大学理工学部(数学科)を卒業した9人の日本人 グループと一緒だった。 今回の旅行で感じたのは、この時期、卒業記念旅行で旅行している若い人達が大変多いということ。それとワーキングホリデイで長期旅行している若い男女と沢山あ会ったことだ。中央大学のグループの中のリーダー格の青年も、卒業後1年間は就職しないで、オーストラリア全土を回って歩きたいと言っていた。それも大事な経験で就職後の大きな力になるだろうと励ました。 3月2日 早起きが習慣になっている。NHK放送を見る。眠気覚ましに入浴。朝食の準備をする。 メニューは定番、残り物を活用。今日は特に予定をたてておらず、課題といえば荷物を一つ先に帰国させておくこと。キャスター付の大型リュックに当面必要がなくなったもの (衣類、カメラ機材、化粧品他余計に持ってきたものなど)を詰め込み、11時30分頃シテイセンターへ。ツアー申し込みを兼ねて「ミラージライン」の女性マネージャーに相談したが、らちがあかず、最終的にはスターツの荒木氏の配慮で、社員の順子さんが一緒に 郵便局へ行ってくれた。おかげで計量等の手続きを済ませ、航空便で送ることができた。 重さは15キロ弱4日程度で日本に着くエックスプレス便で、100ドルの保証保険(5ドル)を含め160ドル(日本円換算1万円強は高くない)これで一安心。パラダイスセンター内の日本食「千房」Chiboで(天丼9.4ドル、味噌汁2.6ドル)をオーダーする。 インナーハーバー際の大変眺めの良い席で素晴らしい時間を過ごした。帰りに荒木氏が「夜景のきれいな高台へ車で案内してくれる」と言ってくれたが、折からのにわか雨のため中止。ホテルへ送ってもらい、光祐君、将人君への誕生日お祝いのメールを送り、入浴後就寝 3月3日 朝食は食パン、卵など冷蔵庫に残っているものを活用して手製で簡単に済ませる。 登校前の7時前を見計らって神谷家に電話を入れる。光祐君、将人君に誕生日のお祝いを言い、美樹にも代わってもらい「お土産を買っていくからね」と話をした。 インターネットのメールの返信(アコモネットの大友さん、シドニーの吉野さん)と紬の節句(ひな祭り)のお祝いのメールを打ち、重ねて篠原家に電話を入れ,メールを送った旨電話する。そうしているうちに11時近くになる。外出してお土産(チョコレート)を買ったり、ツアー申し込みをしているうちにお昼時になる。パラダイスセンター内でパスタとビールその後アクアバスツアーの次回出発時刻を確認、その待ち時間を利用してパラダイスセンター2階の10PIN BOUL(ボーリング場)で2ゲーム楽しむ。 まずまずの成績でスコアシートをもらって記念にする。 アクアバスに乗る。水陸両用バスというところ。しばらく道路場を走り、「ボートおろし」の場所から川に入る。川を北に下り,シーワールドの所までクルージング、ボートおろしの場所を利用して上陸、シーワールド、メインビーチを経てパラダイスセンターまで戻る約1時間のツアーである。川から内海(インナーハーバー)へと下って行くクルージングは快適だった。陸地では車に振動抑制装置(エキスパンダー)がついていないので、上下に揺れ乗り心地が良いとはいえない。ゴールドコーストは何回も来ているがこのツアーは始めての経験だった。4じ30分ホテルに戻る。 プールに行き軽い水泳とジヤグジーでリフレッシュ。夕食はゴールドコースト到着翌日に買った中国製インスタントヌードルを中心に、手製で済ませる。外出を取りやめ、インターネットを中心にパソコンを楽しんでいた8時頃、突然の非常ベルで驚いて表に出る。 下に下りると殆どの泊り客が玄関外に出て様子をうかがっている。消防自動車も出動していたが、たいしたこともなく直ぐにそれぞれ部屋に戻る。何だろうと思いうっかりキーを持たずに出てしまい、2度目のロックアウト。スペアキーを借り一件落着。 . 明日のツアー(8時30分頃ピックアップ)を楽しみに入浴後就寝。 3月4日 5時頃起床、ビーチへ写真撮影に。雲があり水平線からの日の出は見られなかったが、大きな波がしっきりなしに大きな波が押し寄せる海の彼方の雲間から上がってくる太陽、この素晴らしい光景をカメラに納める。ホテルに戻って定番(手製)の軽い朝食をとる。 冷蔵庫の中のものも殆ど無くなった。明日は移動日、ちょうど良いと言う感じ。 3月5日 今朝も早起き,NHKのニュースを見て入浴。(今晩から2日間はシャワーのみになる) 体全体を浴槽に沈め「風呂」を満喫する。朝風呂とは贅沢なことだが・・・。 今日は移動日、チエックアウトを11時30分まで延ばしてもらったので、残り物で軽い 朝食のあと、ゆっくりと荷支度をする。チョコレート10個(追加)をトランクに詰め込んだが入りきらず、結局リュックに精一杯入れ込んでもだめだった。ビニール袋に残りを納める結果となり,荷物は三つになってしまった。前もってキャスター付リュックとチョコレート30個分を別送しておいてよかったとつくづく思った。予定どおり11時30分チエックアウト。 飛行機は定刻 (午後1時)にフライト。午後3時30分シドニー着。(夏時間採用のため1時間進める) リムジンバスを探し、前回乗ったあたりにいた運転手に聞いたら「ここからは出ない」とのこと「教えてやる」と言い、親切にも私の荷物をカートに載せ案内してくれたが、あちこち回り、結局バスの出発地点は空港出口で、一回りして戻って来た感じ。そのドライバーも私の乗るバスの運転手にバトンタッチをしながらいささか恐縮している。 それでも「Thank you so much、you are kindly」と丁重にお礼を言った。ホテルの確認で若干トラブルがあったが、なんとかトラベルロッジの玄関前でおろしてもらい、チェックイン。 「3週間ぶりのcame backだ」とレセプシオンの女性に言ったら、覚えていたらしく笑って応えた。シドニーへ戻って来て何かほっとしたというのが実感だ。シャワーを浴びて身支度を整える。久方ぶりにネクタイ、ジャケット着用、コンサート鑑賞のためオペラハウスへ。 タスマニア・アンサンブル・チャンバー(ヴァイオリン、チエロ、コントラバス等の弦楽器とハープシコードの楽団)の演奏で、バロック音楽の夕べ「GO for BALOKK」という演題である。16世紀から18世紀頃の雰囲気をそのまま生かした演奏で、モーツアルト、ハイドン、バッハ、ビバルデイ等のバロック音楽を、休憩をはさんで、約1時間半ほどのコンサートを楽しんだ。終演は10時30分をまわっていた。急ぎ足でホテルに戻ったのが11時。何か食べたい気分だが、お店は殆どしまっていた。開演前にワインとチーズとクラッカーの入ったバスケットをつまみ程度にとっただけ、空腹を少しでも満たそうと一つだけ残っていたインスタント味噌汁とお茶で我慢して、12時30分頃就寝。 明日はゆっくり起きればよい。 3月6日 早起きが習慣になって、昨晩は12時過ぎと遅かったにもかかわらず5時に起き、NHK テレビを見る。7時、久方ぶりにホテル内のレストランで朝食をとる。ビュフエスタイルだが、毎朝手製の限られただけの食事に比べれば豪華なものだ。ゆっくりと朝食をとり、パソコンでメール等の処理をして、11時少し前に外出する。 「エレベスト」という映画だが、特大のスクリーンに素晴らしい音響で迫力があり、見ごたえのあるものだった。そのあとシドニー水族館へ行ってみた。今回で3回目だが、規模、種類,数等世界最大級のもの、特にガラスのトンネルの中を歩き、まるで海中にいる感じで、大きなサメや亀、数え切れない魚を見るのは最高だ。いささか疲れを感じたので早めにホテルに戻ってひと休み。 5時に吉野氏が部屋に。懇談後夕食を共にするため徒歩で、予約をしてもらってあるシーフードレストランに向かう。歩くことおよそ30分、奥さんも仕事帰りの車で待っていて、3人で食事をする。イセエビ料理を中心にしたデイナーを楽しむ。おいしかった。オーストラリア滞在最後の晩餐をおえ、車でホテルに送ってもらい、余韻を楽しみながら就寝。 3月7日 6時起床、身支度を整え8時30分チエックアウト。朝食時のためエレベーターが混み、予定より少し遅れ気味。タクシーで空港へ。JALカウンターも混雑しておりチエックインにも時間がかかった。空港内で朝食をとり搭乗を待つ。 10時45分予定より若干遅れてフライト、9時間あまりの飛行時間で午後4時20分成田空港着陸。タクシーで無事帰宅。 終わりに
今回の旅は、約一ヶ月にわたる日程なので、宿泊場所、オーストラリア国内での移動(主として飛行機)など、出来るだけ経費を節減したいと考えていた。 そういった中でも、いろいろと新しい体験をしたい。知人を経由して紹介された、ゴールドコーストのアコモネット社にその旨を伝え、アレンジしてもらった。 担当の大友さんから出発前に、国内便、インディアンパシフイック号、長距離バスを含め、「ユースホステルの会員になると割引があります」というアドバイスがあった。間もなく65歳になる私がユースとつくメンバーになれるのかと思っていたが、手続きを済ませて会員証を良く見たらシルバーとの記載があり納得した。これらを含め、楽しく旅行することを大前提に、お金と時間を有効かつ経済的に使うよう心がけることにした。 また、オーストラリアドル建てでの預金を活用、オーストラリア国内便のみならず、国際便(お迎え便)の手配もアコモネットにお願いしたのも、経費節減につながった。 ではどのくらい掛かったのか。殆どAusドルを使用したので、為替の関係もありあまり参考にならないと思うが、概算してみると、国際便シドニー・成田間往復が約31万円。オーストラリア国内便(パース・エアーズロック間、エアーズロック・ケアンズ間、ケアンズ・シドニー間)約12万円。インディアンパシフイック号(シドニー・パース間レッドサービス)約7万円。これら交通費関係で50万円となる。 宿泊費はコンドミニアムを主に使ったので3,000円から5,000円程度であった。食事代、ツアー代金等を含めおおむね一日につき1万円以内で済ませるよう心がけたので、この経費がインディアンパシフィック号の3日間を除き約27万円程度になる。 したがって、これまでの概算で77万円になる。レンタカー使用料、国際電話代その他諸雑費を含めても約80万円程度だったと思う。 これは当時の為替(1Ausドル70円)での換算で計算している。 オーストラリアの旅
1.東海岸編. ケアンズ・キュランダ・グレートバリアリーフ |