船出
秋深き 江戸川の朝 さあ 出港だ 多くの釣り人を乗せ 船は岸を離れる それぞれの船宿ごとに 昔この川岸を「大川端」と呼び 船宿が立ち並ぶ処を「蒸気河岸」と言った 昭和のはじめ 青年山本周五郎がここに住み 小説「青ベカ物語」を書いた 鉄橋を地下鉄東西線が走る この下の妙見島に詩人草野心平が居をかまえ 多くの詩を書き綴った 江戸川の河口と灰色の海を ぶざまなアーチと冠し 最初に架けられた浦安橋を 今 大川端の風景は大きく変わった 川沿いに連なる一面の田んぼは住宅地となり 対岸には大きなショッピングセンターもできた しかし江戸川の流れは昔とかわらず とうとうと流れている 海は近い 河口には 世界の遊園地 東京ディズニーランドがある 全国から そしてアジアの国々から 毎日大勢の観光客がおとずれ夢の国を楽しんでいる いっせいに出航した船は その先のどこまでも広がる 江戸前の海を目指して走る 今日の素晴らしい釣果を夢見ながら 秋晴れの空の下 東京湾も青く光り 釣り船の群れを やさしく迎えているようだ 釣り人たちに 幸あれ
0 コメント
ぶっくれ舟
いつの間にか 舟を漕ぎ出していた 何処へ 行こうというわけでもない 朽ち果て 老いたこの小舟は 激しい雷雨が もう一度やってきたら つながれたこの場所で 沈んでしまうだろう この「ぶっくれ舟」にも輝ける過去がある かつて 豊かだった海に出漁し、おおいに活躍した日々があるのだ 海は埋められ 漁師は陸に上がり 舟は置き去りにされたのだ 海につながる川も 置き去りにされ いつの間にか流れを弱め汚れた その病める川の中で 「ぶっくれ舟」は身動きできないまま 病みそして老いた いつの間にか 舟を漕ぎ出していた 何処へ 行こうというわけでもない 頑張ってきた「ぶっくれ舟」 このまま此処に 沈ませてはいけないという思いから どうせ沈んでしまうなら 彼の終焉にふさわしい処まで行かせてやりたい 舟は鈍い動きで 岸を離れ ゆっくり動き出した 頑張れ 心の中で叫ぶ 「ぶっくれ舟」にも そして漕ぎ手の自分にも いつの間にか 舟は遠くなった海に漕ぎ出していた なつかしい 潮の香りを一杯に受けながら 何処へ 行こうというわけでもない ただ「ぶっくれ舟」のやすらぎの水面を求めて 私の海外旅行写真 その1 オセアニア編 千葉県町村議長会視察旅行(1980年秋)ニュージーランド・オーストラリア
ニュージーランド
シドニー (オーストラリア) 私の海外旅行は、1976年秋の全国町村議長会の企画による東南アジア4ヶ国訪問の旅へ参加したのが始まりでした。
2回目の旅行が、1980年秋の千葉県町村議長会のニュージーランド、オーストラリアの旅です。オーストラリアは気候も良く、治安も良く、食べ物もおいしい国です。初めて訪問して好きになり、その後は機会をとらえ、何回も旅しています。 次回からはオーストラリアの旅行写真をたくさん紹介したいと思います。 |